岩殿寺へ御来山歓迎


第二番海雲山岩殿寺(岩殿観音) 曹洞宗
〒249-0001 神東川県逗子市久木五ー七ー十一 0468(71)2268
本尊●十一面観世音菩薩  開基●徳道上人・行基菩薩  創立●養老五年(七二一)   住職●洞外正教
●詠歌●たちよりて 天の岩戸を おし開き 仏をたのむ 身こそたのしき

徳道・行基両上人の開基
 逗子駅からバスで久木東小路下車、静かな住宅地の中を縫うようにして山門に至る。表参道の 「写し札所」の観音さまを拝しながら行くと巡礼者としての心構えがおのずから整ってくるのが有 難い。山門を経て百余段の石段を踏むと江戸期再建(逗子市重文)の観音堂である。古木に囲まれ たここの風致は森厳そのものといえる。
 寺伝によれば大和長谷寺の開基徳道上人が、ここで熊野権現の化身である老翁に逢い、霊地たる を知り、また数年のちに僧行基が訪れて十一面観音の石像を安置したのが開創という。本堂裏の石 窟に立ち給うご尊像、これに寺号は由来する。全体にはっそりと丸みのあるお姿に生身の菩薩を感 じ、合掌せずにはおられない。この縁起は長谷寺の勧進蟄たちによって説かれたものかも知れない。

鎌倉将軍家の帰依
 『吾妻鏡』文治三年(一一八七)二月二十三日のところに「姫公岩殿観音堂に参りたもう」とあ るように御台所、大姫、実朝など一族の帰依はことのはかあつく、参詣もしばしばであった。とい うのも源頼朝がはじめ文覚上人の勧めによってこのご本尊を信仰、治承四年(一一八〇)石橋山の 敗戦で房州州崎に逃れる折、観世音が船頭となって無事送ったという話は有名であり、これこそ源 家再興への大きな霊験であり、頼朝は生涯守り本尊としていたのであるから当然のことであろう。  江戸時代の『観音霊験記』も、この話を絵図入りで載せている。鎌倉とその周辺には源氏の盛衰 にかかわる史話が多く伝えられているが、房州へ向かう七騎落ちの船の舳に棹をさしている観音さ ま、このような霊験図を見ていると自然と宗教的感性がみがかれてくるから不思議である。

文豪泉鏡花とのゆかり
 泉鏡花がすず女と恋に落ち、逗子に滞在していたのは明治三十五年と三十七年の夏であり、その 折よくこの岩殿寺へ二人は足を運んだらしい。そしてここの老僧に親近して、のちに参詣者の憩い にと鏡花は瓢箪池を寄進した。
 この池の端を通って境内右手の熊野社の前を抜けて裏山に登ると、四阿「瑞光亭」からの眺望が すばらしい。逗子の海岸、三浦半島、房総半島までが一望のうちにおさまる。鏡花が『春昼』とい う作品の中で「此の山の裾にかけまして、ずっとあの菜種畠の辺、七堂伽藍建て連らなって居りま したそうで」と書いているが、かつてはこの山の周囲にわたり広大な寺域をもっていたことが偲ば れる。『板東霊場記』に「南海渺焉として目力をほしいままにする」とあるのがうなずける。 「時移り世衰え、此の寺の何宗旨に属するも知らず、天正十九年辛卯に至り、大将軍家康公、旧証 を追て許多の田を寄附し、観音堂の領となし」と当山の縁起にあって、寺格を保っていたことが知 られるが、明治維新前後は大いに衰えた。だが現ご住持がこれを再興された。
 本堂外陣の格天井を飾る板絵はすばらしいと聞いているが、お開帳の折にでも拝見するのを楽し みにしておこう。現在、山上、山下全域に百観音札所の巡礼歌を刻んだ石碑が建てられ、われわれ を信仰の世界に誘ってくれるのは有難い。弘法大師が爪で彫られたと伝える石の地蔵尊をつめの病 に悩む人が拝むという。大きな蘇鉄を庭に配した庫裡で納経してくださる。そこに鏡花の「普門品 ひねもす雨の桜かな」の句碑がある。

●主な法要行事  一月二十六日高祖降誕祭 二月十五日仏涅槃会 四月八日仏誕生会 五月五日鏡花祭
 七月十五日大施繊鬼会 八月十日四万六千日 九月二十九日両祖忌 十月五日達磨忌
 十一月二十一日太祖降誕会 十二月八日仏成道会 毎月一日、十五日祝祷会
 毎月第二日曜日寶心会 毎月十八日観音会
●付近の名所旧跡  鎌倉周辺に多し。
●宿泊施設  なし
●拝観料  一〇〇円
●納経時間  午前八時から午後五時まで


泉鏡花と岩殿寺    岩殿寺住職 洞外正教

 泉鏡花と岩殿寺との関係は、先住老僧との出合いからはじまります。
 明治三十五年の夏、散策がてら来山された折、あまりにも疲れきった顔をされていたのを、老 僧が心配し、庫院に迎い入れ、茶話のうちに、四年の年月、老僧との交友がはじまったわけです。  老僧は易学にこっていたので、鏡花も来訪の都度、老僧の易を楽しまれ、ことのほか老僧の漢 詩の話に聞き入ったとのことです。
 この四年間の老僧との交友が、後年の鎮花文学のあの神秘な作品の基礎づくりになったことは、 作品を読めばうなずけると思います。
 当初、不健康の原因となったのは、後年奥さんになられるすず夫人との師(尾崎紅葉)を裏切っ ての同棲生活にあったわけです。慢性の胃腸病に加えて強度のノイローゼに苦しんでいた鏡花で したが、適度の散策と、老僧の情熱的な茶談に、健康を回復されたわけです。こうした報恩の心 が、御夫妻をして、観音堂前に「鏡花の池」の寄進をおもいたたせたことでしょう。池づくりに は、すず夫人の御努力が大変なもので、老僧の奥さま宛に送られた手紙のうちに、読みとられま す。

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