長谷寺へ御来山歓迎


第四番海光山長谷寺(長谷観音) 長谷観音のホームページ  浄土宗
〒248-0016 神奈川県鎌倉市長谷3−11−2 0467(22)6300
本尊●十−面観世音菩薩  開基●徳道上人  創立●天平八年(七三六)  住職●竹石耕美
●詠歌●長谷寺へ まいりて沖を ながむれば 由比のみぎはに 立つは白波

長谷のかんのんさま
 鎌倉には七十余の寺があるが、大仏さまと長谷観音が最も有名で、八幡宮周辺の史蹟めぐりと共 に鎌倉観光のベストコースになっている。だからここは巡礼者のほか一般参詣の者が日々群参して いる。
 山門をくぐり石段を左右に折れながら登る。長谷寺の魅力の一つはこの参道にあるが、最近すっ かり輪奐の美を整えた観音堂の荘厳なたたずまいは実にすばらしい。眺望絶佳な境内にふさわしい 見事な伽藍配置といえよう。ここのご本尊が像高一〇メートル余の木彫像で、全身を金箔でおおい、 その華麗さはまさに拝者を圧倒するものがある。また、その巨像からの無辺の愛にすっぼりと包ま れるような有難さもおぼえる霊像である。

同木異体
 長谷寺という名前の寺のはとんどが大和長谷寺信仰の系列に入るが、ここは特に本尊が大和の観 音像と「同木」であることで知られる。『相州鎌倉海光山長谷寺事実』には天平八年(七三六)長 さ三丈三寸の観音の巨像が三浦半島の長井の浜に着き、それを徳道上人を閲山と仰いで藤原房前が 奉安したのが長谷寺の草創というが、『新編鎌倉志』の長谷寺の項をひもといてみると「此観音大 和長谷より洪水に流され・・・和州長谷の観音と此観音とは、一木の楠にて作れり。和畑の観音は木 本、此像は木末也」とあり、同木異体の信仰に重点を置いているのを見逃すことはできない。それ 故に「新長谷寺」とも称していた。
 だが寺の創建年代や本尊の造立時期は不明であり、『吾妻鏡』にも何一つ記載されていない。し かし、僧忍性が極楽寺坂を切り開いた文永・弘安年間(一二六四〜八八)の頃から、この道を往来 する人々の信仰を集めていったようである。弘長二年(一二六二)在銘の板碑、文永元年(一二六 四)鋳造の銅鐘、嘉暦元年(一三二六)造顕の懸仏などの寺宝が、この寺がだんだんと形を整えて いった経過を示している。
『風土記稿』は足利尊氏が康永元年(一三四二)に本尊を金箔で修復、義満が明徳三年(一三九 二)に光背を造るなど、その後の武将たちの庇護があつかったことを伝えているが、徳川家康が慶 長十二年(一六〇七)に再興した時の「棟札」に「海光山長谷寺荒廃、七零八落年久矣」とあり、 時に消長の激しかったことを知る。がしかし、江戸時代にこの観音堂を修営した酒井忠勝の「棟 札」には「当寺者観音堅坐之霊場、威力自在之功験挙世皆崇信之」とあるのによって衆庶の帰依は 広範囲に及んでいたといえよう。
 右手に錫杖を持っておられるこの尊像独特のお姿は、地蔵菩薩への信仰をかねているだけに大衆 の信心はあつく、遠く大和の地まで行かなくても同じご利益にあずかれる江戸時代庶民の喜びは大 きかったにちがいない。また、ご本尊の左右に奉安される三十三身の木像は、巨像にあわせて造ら れたものだけに立派なものである。なお室町時代に流行した高僧像の形式になる開山徳道上人の木 像がある。頼朝厄除祈願の阿弥陀如来、弘法大師作の出世大黒天、弁天窟など、ここは礼拝すべき 場所が多い。
 山田順子さんが「私たちの観音さま」に、次のように詠っている。
  人よ来ませ慈顔たヽえて今日もまた
    長谷観音はひとりおはすを

●主な法要行事  除夜鐘撞会 節分会 春の彼岸会・地蔵会 四月八日灌仏会 五月十一日弁天会 六月一日阿弥陀会 七月十八日信徒施餓鬼会  八月十日四万六千日大功徳会 八月十二日檀徒施餓鬼会 秋の彼岸会・地蔵会  九月二十六日大黒会 一二月一八日歳の市  毎月十八日観音会 
●付近の名所旧跡  高徳院(長谷大仏) 光則寺 極楽寺 稲村ケ崎 由比ケ浜
●宿泊施設  なし
●拝観料  大人300円、小人100円 (宝物館は現在無料)
        30人以上団体割引あり
●拝観(納経)時間  三月〜九月(夏)午前八時〜午後五時三十分  十月〜二月(冬)午前八時〜午後四時三十分。


観音さまは男か女か  長谷寺住職竹石耕美

 参拝の方から、観音さまは男か女かとの問いかけが案外多くあります。ある雑誌のクイズで 「観音さまは男」とひと文字の解答が目にとまりました。いかにも自信に満ちた解答です。しか し、これで質問者は納得するでしょうか。面白くもなんともないでしょう。
 観音さまには、男性的なお顔が多くありますが、光明皇后、檀林皇后をモデルにしたといわれ る豊かな官能の匂いを発するお像、親鸞聖人が出会った観音さまも女であったにちがいないでし ょぅ。たびたび経文に登場する観音さまは男だと、考えもせず決めてしまっています。しかし女 であってもよいのではないでしょうか。すべて女だといいたいのではなく、男女は平等だし、服 装も動作も区別のない時代です。仏さまの世界では、昔から男女の区別はないのだと考えたいの です。
 それにしても、仏教を理解することも、わからせることも、とても大変なことだと痛感いたし ます。精進したいものです。

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