勝福寺へ御来山歓迎


第五番飯泉山勝福寺(飯泉観音) 古義真言宗
〒250-0863 神奈川県小田原市飯泉一一六一 0465(47)3413
本尊●十一面観世音菩薩  開基●弓削道境法師  創立●天平勝宝五年(七五三)  住職●峯 孝雅
●詠歌●かなはねば たすけたまえと 祈る身の 船に宝を つむはいいづみ

天平の古刹
 飯泉山勝福寺は小田原市の東北部、酒匂川東方の一区域に境内を構える。宝永三年(一七〇六) 再建の地方色豊かな宝形造りの観音堂を中心に、曽我兄弟が仇討の成功を祈り、怪力を授かった仁 王尊を祀る仁王門、宝永元年鋳造の龍頭の手水鉢、室町期の手法を伝えるという寛永六年(一六二 九)在銘の梵鐘などが境内を荘厳している。
 その奥は弓削六坊の一つ、かつて弥勒院の山門であったという四脚門で境をして庫裡が建つ。左 手には神仏習合の名残りを留める八幡社があるなど、由緒深いたたずまいである。それに本堂前に 樹齢数百年という銀杏がこの境内に一層の森厳さを加えている。
 もとこの寺は現在地から二キロほど離れた千代村にあった。そこは今「観音屋敷」といわれ、優 秀な天平瓦が出土している。『縁起』は天平勝宝五年(七五三)唐僧鑑真和上が将来した十一面 観音像が孝謙天皇に献上され、のちに僧道鏡に下賜されたが、道鏡が下野国薬師寺戒壇院再興のた め下る途次、千代村に一宇を建てて奉安したのに始まると伝える。はじめは普陀落山弓削寺と称し 弓削氏の氏寺であったらしい。
『坂東霊場記』には、「当国足柄郡千代の里に至り笈仏急に重くなり押居らるる如にして一歩も進 むことを得ず」と記されている。この話はこの地の人たちが笈によって運ばれてきた観音へ深い信 仰を捧げたことを語るもので、関東の地に観音信仰が中央から伝播してくるさまが想像できて興味 深い。この伝承は天下の嶮とうたわれた足柄、箱根連山を越えて酒匂の平野におりた文化が、ここ を足溜りとして花を咲かせたものとみてよいだろう。村の老若集まりて手に手に竹本を運んで堂舎 を営んだと語られている。

小田原城の鬼門除け
 金堂、講堂、東院(観音堂)、東培、西塔、南大門などが千代の里に宏壮な構えを見せていたが、 室町期に今の所に移され、応永二十五年(一四一八)には小田原城の鬼門鎮護の道場となり、勝福 寺の勅号さえ賜わり、歴代城主の保護もあつく栄えた。本堂内陣の春日造りの厨子に納められた像 高二尺八寸、素木造りのご本尊は三十三年目ごとに開扉される。お眼や唇以外には彩色を施してい ないこのお像は「関東における十二世紀頃の制作」で「中央の定朝様式」の忠実な模倣のあとが うかがえるという。
 文化元年(一八〇四)二宮金次郎、のちの尊徳翁が十八歳の時である。この勝福寺で旅僧が「観 音経」を訓読するのを聞いて深く感ずるところがあったという。尊徳翁はこのようにして若き日よ り「利他」に生きる崇高な精神を観世音菩薩から授けられたのである。本堂前に少年二宮金次郎の 本尊礼拝の像が建てられている。
 酒匂川を渡る手前に国府津があり、ここから勝福寺までの道を「巡礼街道」と呼んでいる。古地 図を見ると相模国には「巡礼坂、巡礼峠、巡礼道」などの地名が多く、それだけに坂東札所巡礼 が盛んであったことが知られる。『風土記稿』には「江戸より行程二十里、民戸八十一、多く観音 門前に連住す」とあり、六軒の巡礼宿で、それぞれ巡礼は豆腐の石焼に舌鼓をうったことだろう。 なお、ここの境内で名力士の雷電が土地の無法な力持ち岩五却を投げとばした話は有名。境内の樹 齢数百年といわれる大公孫樹は、遠くからでも寺の所在を知らせる目標となっている。
 十二月十七、十八日両日の「ダルマ市」は有名で、その歴史も古く永禄年間(一五五八〜七〇) からという。

●主な法要行事  正月三が日初詣元旦護摩 正月十八日初観音 八月九・十日四万八千日  十二月十七・十八日歳の市(だるま市) 十二月三十一日除夜の鐘
●付近の名所旧跡  二宮尊徳先生生誕生地 小田原城跡
●宿泊施設  なし
●拝観料  無料
●納経時間  午前八時〜午後五時


「和顔愛語」の心  勝福寺住職 峯孝雅

 ここ勝福寺は千二百年の歴史をもつ寺です。その間、栄枯盛衰はあったでしょうが、この寺は 巡礼参拝の方々の外護を、たくさん受けてきたものと思います。
 私もお寺でお参りを受けるだけでなく、いつか一遍、自分で巡礼に出てみたいという悲願が三 年前に実り、檀信徒と一緒に坂東・西国・秩父百観音を巡礼して参りました。自分で巡礼をして みてわかったことですが、それぞれのお寺さんを印象深く参拝するということは、一回ではなか なかできないものだ、ということでした。常日頃お寺でお参りを受けておりますと、二度三度は もちろん、何十遍もお出でになる方がいらっしやいますが、さこそと思いあたった次第です。
 数ある札所の中でもいわゆる難所といわれる所は、お寺に着くまでが大変なので印象に残りま すが、やはり一番深く心に残るのは、お参りをしたときのご住職や寺務の方々の「よくお参りで す」という優しい言葉と、笑顔で迎えてくださる応接の態度でした。仏教には「和顔愛語」とい う言葉がありますが、これこそがお参りを受ける側の真の接待ではないか、と深く心に刻んで帰 って参りました。以後、自坊に戻って自分自身に注意を促しております。ここは五番とはいいな がら西から来られると坂東の第一印象のお寺ですので、坂東の顔として和顔愛語をもって巡礼に 接する心としたいと念じております。

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