長谷寺へ御来山歓迎


第六番飯上山長谷寺 (飯山観音) 飯山観音のホームページ  高野山真言宗
〒243-02神奈川県厚木市飯山五六〇五 0462(41)1635
本尊●十一面観世音菩薩  開基●行基菩薩  創立●神亀二年(七二五)  住職●米山隆応
●詠歌●飯山寺  建ちそめしより つきせぬは いりあいひびく  松風の音

行基・弘法二師の開基
 厚木市街から約六キロ、丹沢から東へのびる尾 根、海抜二八○メートル余の白山の中腹に長谷寺 は位置している。「飯山の観音さん」「縁結びの観 音さま」として知られる衆生縁豊かな霊場である。 『風土記稿』に「飯山寺と号し、長谷観音と唱ふ」 とあり、前者の呼称は観応元年(一三五〇)の文 書、後者は嘉吉二年(一四四二)の鐘銘によると している。
 飯山白山森林公園の道標にみちびかれて小鮎川 の清流を渡り、桜並木の一本道をたどると、建久 年間(一一九〇〜九九)源頼朝が秋田義景に命じ て造営させた、やや小ぶりの仁王門に至る。これ をくぐると天然記念物指定の槙の大木がそびえた ち、右手の広い境内は桜並木でうまる。満開の頃 は、花見客がこの観音さまのお膝もとで一日を清 遊するという。さらに石段を踏むと嘉吉二年再建 と伝える観音堂の前に出る。
 やや基本形をくずした斗キョウなどの組み物や十二 支を素朴な彫りで飾った暮又など、まことに格 調高い本堂である。寺伝によれば神亀二年(七二 五)ここより四百メートルほど離れた地から清水 が湧き、五色に輝いたので里民は怖れをなして近 づかなかった。たまたま来錫の僧行基の鉄鉢を縁 として、その泉の中から十一面観音が示現された。 そこで行基は末世度生の悲願をおこし、かたわら の楠の木をもって新たに三尺余の尊像を彫み、さ きに感得したお像を胎内に納め、ここに霊刹を設 けた。そして、のちに大同二年(八〇七)弘法大 師が密宗の道場としたといわれている。ご本尊の 出現された「彼の泉の流れを服するに諸病愈ざる 者なし」ともいう。
 もう一つの縁起は、この地の領主飯山権太夫が 旅僧に一夜の宿を布施したところ、そのお礼にと 大和長谷寺の本尊と同材で造った観音像を賜わり、 一宇を建立したのがこの寺の始まりであり、その 旅僧こそ弘法大師であったという。
 この二つの縁起は行基・弘法という優れた大徳 と長谷寺信仰とを組み合わせたものであるが、大 衆の期待を一身に集めた二高僧と霊験豊かな長谷 観音さまの登場で、この寺は多くの人々の信心を より深めてきたのである。また、これらの説話は 水神信仰に始まり、その山容が大和の初瀬「川上 の聖地」にかようこと、そして十一世紀後半に各 地に見られた開発領主たちの寺院建立の史実にも つながっていくものであろう。そして弘法大師の 遊化をいうことで真言宗の道場となる過程を物語 っているといえよう。

名鐘の由来
 鎌倉時代には四宗兼学の寺として栄え、鎌倉の 覚園寺、金沢の称名寺と交流があった。すなわち 弘仁二年(八一一)この寺の長老であった覚阿は、 覚園寺開山の心慧や称名寺開山の審海と共に、相 模国大山寺中興の願行の附法の弟子であったので ある。本堂の右手前に、住僧が晨昏の例鳴を怠っ たらその夜に鐘の行方が知れなくなり、のちに夢 告によって地中より掘り出し得たという「飯山の 隠れ鐘」の伝説をもつ梵鐘がある。『坂東霊場記』 に「若し病者此の響を聞て至心に大悲者を持念す れば、病の愈ゆること流れに物を洗ふ如し」とあ るが、実に美しい余韻をもつ、関東の地ではじめ て清原国光が鋳造した名鐘である。境内には「梵 鐘の余韻若葉の峡渡る」の句碑がある。本堂裏に 文化七年(一八一〇)「山上白山宮道、是より五 丁」の石標があり、この寺に丹沢山塊一帯の修験 の信仰があったことを示している。本堂内には 「役の行者」のお像がまつられている。

●主な法要行事  除夜〜元旦初護摩供 一月一日〜三 日本尊開扉 四月八日大祭日 秋まつり柴燈護摩(厄 除火渡)  十一月三日本尊開扉
●付近の名所旧跡  飯山白山森林公園 飯山温泉
●宿泊施設  なし 近くに飯山温泉がある。
●拝観料  無料
●納経時間 午前八時〜午後五時。


 桜並木と公園の開かれた寺     長谷寺住職 米山隆応

 当山は丹沢近辺のハイキングコースになっていますので、巡礼の方々のほかにハイキングの人 たちが多く訪ねて来られます。私が座っておりますと、特にそうした方から寺の来歴についてよ くお尋ねを受けます。何かのご縁と思いますので、できるだけ説明して差しあげています。堂を 一巡する形で第一番から三十三番までの観音像を並べ、順に参拝できるようにいたしましたが、 中にはそれが機縁となって巡礼を発願される方もおいでのようです。
 門前の桜並木はよく知られていて春にはお花見客で賑わいますが、もとは先代が炭でも焼こう かと裏山一帯に植えたのが始まりでした。子供たちが遠足に来たりいたしますので、境内地を広 く公園として開放しておりますが、山門から内はみ仏にお仕えする場として厳しく区別し、名前 入りのベンチ、屑籠、灰皿など一切置かず、禁止札なども建てておりません。お花見客もよく心 得ていて、ついでのお参りもお酒の入る前に済まされるようです。
 先生に連れられて遠足に来た子供たちが、境内地の公園で嬉々として無心に遊んでいるのを見 ますと、いかにも平和なその風景が、観世音の宏大なご慈悲を目のあたりに見る思いで、このよ うにして本当によかったと思っております。

第七番札所のページへ
地図(クリッカブル・マップ)へ