慈光寺へ御来山歓迎


第九番都幾山慈光寺 天台宗
〒355-0364埼玉県比企郡都幾川村西平三八六 0493(67)0040
本尊●十一面千手千眼観世音菩薩 開基●慈光老翁 創立●白鳳二年(六七三) 住職●佐伯明了
●詠歌●聞くからに 大慈大悲の 慈光寺 誓いも共に 深きいわどの

天台別院
 平安時代の初期、清和天皇が慈光寺を勅願寺と 定め、「天台別院一乗法華院」と称せしめたこと は、鎌倉時代に栄朝上人が願主となって鋳造奉納 したこの寺の梵鐘銘に「天台別院慈光寺」とある ことからも十分承知できる。また『風土記稿』に 「昔は大伽藍にして、何の頃よりか台・密・禅の 三宗を兼学」すとあるから、鎌倉時代には関東の 地に重きをなす寺院であったことが知られる。
 それに弘長二年(一二六二)のものをはじめ九 基を数える「板碑」の伝存は、中世におけるこの 寺の繁栄がいかに大きかったかを示している。鎌 倉時代文化の一異彩であるこの寺の大板碑群、 六百年の風雪に堪えてきた姿は気高くさえある。
 寺伝によれば天武の朝(六七三)慈光翁が僧慈 訓に命じて千手観音像を彫ませ、本尊として祀っ たのが、この寺の始まりである。現在は鎌倉時代 の作といわれる千手観音像が、切れ目の長い慈眼 で私たちを優しく迎えてくれる。子供を背負う如 く一臂を背に向けておられるのが特色。
 比企のゆるい兵陵地帯から山間部に入り、都幾 川に沿って進むと、海抜三〇〇メートルの都浅山 が姿を見せるが、ここを役ノ行者が修験の道場と したとも伝え、平安時代作といわれる蔵王権現が その流れを今に伝え、早くからの山岳寺院であっ たことが知られる。『慈光寺実録』に「毎年四月 十二日此三峯(鐘岳・堂平・笠山)を始め秩父山 峯を苦行し、六月十八日富士山に登り、七ケ日日 夜苦行して慈光へ帰る」とあるように練行の基点 であった。それだけに天台修験の高い格式を誇っ ていた。のちに鑑真和上の高弟道忠が丈六の釈迦 如来像を大講堂に安置、全山の堂宇を整えたこと で慈光寺第一世におされている。さらに関東に足 跡あまねき慈覚大師が密教の法門を伝えた。大師 の植えられた多羅葉樹は今に千百余年の樹齢を数 えている。

文化財の宝庫
 貞観十三年(八七一)三月、上野国の安部小水 麿が大般若経六百巻を納めたのは、この寺の歴史 で特筆されるべきもの。現在は百五十二巻が伝存 する。昔は希望する者があれば気前よく頒ち与え ていたことや、特に経文の一字を切りとって患者 に服用させると病気がなおるという信仰があった からであるという。経典の呪カによせる常民の切 ない願いであったのだ。
 小川町は和紙の産地であるが、この紙工業の発 達は慈光寺の需要に由来するといい、明覚の近く の「番匠」という町も、当寺の建築の時に、全国 から巨匠を集めて、その居住にあてた名残りとい う。
 鎌倉時代には清和天皇を祖先として崇敬した源 頼朝が、文治五年 (一一八九)奥州藤原泰衡征討 のため愛染明王像を贈って住僧厳耀に祈願せしめ、 寺領千二百町歩を寄せていることも見逃せない。 建久三年(一一九二)後白河法皇尽七日忌のため 幕府は武相の地より百僧を出仕させて法要を営ん だが、この寺からは十人が加わった。大寺たるこ とを示している。
 また寛元三年(一二四五)物部重光鋳造の梵鐘、 文永七年(一二七〇)後鳥羽天皇はじめ藤原兼実 など三十二名が書写した一品法華経など、この寺 は文化財の宝庫でもある。昭和六十年十一月放火 により釈迦如来、蔵王権現像等を焼失したのは実 に惜しいことであった。

●主な法要行事 正月三日元三大師護摩 四月十七 日 (四月第二日曜日も)本尊開扉護摩
●付近の名所旧跡 霊山院・東関最初禅窟 東京大学 堂平天文台
●宿泊施設 なし。登山口になる山麓に内田屋旅飽 (0493・67・0031)がある。
●拝観料 宝物殿大人三〇〇円、小人一五〇円、二十 五人以上団体割引あり。
●納経時間 (夏)午前八時〜午後五時(宝物殿は午前九 時与午後四時すぎ)休舘日なし。
      (冬)午前九時〜午後四時

 
お母さんの姿     慈光寺住職佐伯明了

                 「父母恩重経」というお経があります。そのお経にも説かれていますが、とにかく手のかかるのが赤ちゃんです。両親から受けついだ菩提心・生命力となる因と、身体を緑とする因縁によって結ばれ、両親あるいは祖父母が真剣になって、五体満足な子が授かりますようにと神仏に祈願して、やっと誕生。生まれてからは毎日、授乳や衣類・おむつの交換、夜中に泣き出したりすればどこか具合いが悪いのではないかと心配しながら、泣きやむまで抱いていてくれます。お母さんの手と目は、昼夜休むことなく、大切な役目を果たしています。三歳ぐらいまではこうしたことは母親の責任でしょうが、食事や排泄、さらに入浴時の衣類の着脱などは自分以外に頼めないものです。いつまでもお母さんが手をかけるのではなく、少しずつ自分でやっていくように教えていただきたいと思いますが、それはともかく、いつまでもわが子のことで喜怒哀楽を表情に表わし、たくさんのまなざしを向け、数多くの手を使ってくださる姿を象徴するのが、十一面千手千眼観世音菩薩です。
 特に左手の中で一つだけ掌をうしろに向けているのがありますが、これは子供を背負うことを表わしているのです。そう思って、当山のご本尊のお相を礼拝してください。このみ仏が、私をそしてあなたを愛育してくださったお母さんなのです。

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