正法寺へ御来山歓迎


第十番巌殿山正法寺(岩殿観音)真言宗智山派
〒355-0065埼玉県東松山市岩殿一二二九 0493(34)4156
本尊●千手観世音菩薩 開基●逸海上人 創立●養老二年(七一八) 住職●中嶋政海
●詠歌●後の世の 道を比企見の 観世音 この世を共に 助け給へや
 
田村麻呂への霊験
 東上線高坂駅から東武バスで約七分、やがて標 高一三五メートルの物見山が前方にその姿を現わ す。五月には「つつじ」、十一月には「もみじ」 が全山をおおい、あざやかな彩りを見せる。物見 山はぞの名の示すとおり、近傍きっての展望台で あり、筑波・三国山・秩父の山々をはじめ武蔵野 の広野が展望できる。その中腹に正法寺は位置し ている。
 ここには「雪見峠」という地名があるが、その 昔、比企の山中に悪龍が住み、村人たちに害を加 えていた。たまたま奥州征討に向かう坂上田村麻 呂将軍の一行が通りかかったので助けを求めた。 そこで田村麻呂はこの岩殿山の観世音に冥助を乞 う祈願をこめたところ、時ならぬに大雪が降り、 そのため山頂より一カ所だけ雪の消えている所を 発見した(峠の名の由来)。これぞ目指す悪龍の いる所と定め、観音さま授けの矢を射って討ちと ったというのである。
 田村麻呂へのこの霊験が聞こえ、延暦十五年 (七九六)宣旨があって堂宇が立派に整ったとい う。『岩殿山縁起』は、この伝承を重視し、多く の字数を費やしている。
 さて、田村麻呂の祈願以前について寺史は、養 老二年 (七一八) 沙門逸海が四十八峰、九十九谷 といわれた岩殿山の山腹の崖を削り、千手観音像 を岩窟に納めたのが草創であるといい、また、役 ノ行者によって開かれた修験の霊場であるとも伝 えられている。「大東文化大学」 でバスを下り、 裏参道を行くことになるが、少し時間をかけても この寺は表参道から詣でたい。

山寺の法悦
  正面の石段を上ると、愚禅和尚の筆になる「施 無畏」 の扁額をかける仁王門、さらに登りつめる と、岩壁に囲まれた五百坪はどの境内に観音堂が 建っている。その右手の鐘楼には松山合戦の折、 兵の士気を鼓舞するため陣中を引きずったのでキ ズ跡を残す元享二年(一三二二)在銘の梵鐘があ る。昔は六十六ヵ坊を擁し、関東に並びなき大伽 藍を構えていたというが、今は堂塔の数は少ない。 だが木立ちを吹き抜けてくる風がすがすがしく、 巡礼者を山寺の法悦にひたらせてくれる。
 この寺の盛衰はまことに激しかったと記録にあ るが、源頼朝の命により比企能員が復興、能員が 北條時政のために自害をせまられて死去、その嫡 子時員は追手を逃がれて出家し、この寺を護った。 のち室町時代には 「袖をつき踵をめぐらして現当 二世の道をねがふ」(河越軍記)者が多く大いに 栄えた。だが永禄十年(一五六七)松山城合戦の 兵火で焼亡、一山の僧徒は悲境に離散。天正二年 (一五七四)僧栄俊が中興した。
 寛永年間及び明治十年に失火。現在のお堂は明 治十二年高麗村から移築したもの。本尊は千手の 坐像であり、相好端正なお姿は鎌倉初期の作風を 伝える。万治二年(一六五九)水野石見守忠貞奉 納の「明版一切経」慶長以前の記録「正法寺文 書」は貴重な寺宝である。江戸時代末期の『山吹 日記』に「仏殿に馬の古画の額をかゝげたり。寺 僧の説に古法眼の筆なりと。昔はぬけ出て、夜な 夜な麦をくひけるを、ある画師の筆をそへて撃ぎ とめしより、出ることなくなりし」という「抜け 絵馬」や、中山郷の天満宮の奉納相撲に、この村 の人がいつも負けていたので、この寺の仁王尊に 相手をたおしてもらったという「仁王の相撲」の 話は面白い。
●主な法要行事  一月元旦〜七日元旦初護摩修行 二 月三日節分会 四月十五日大般若経転読 七月一日尻 あぶり 八月二十七日万霊水子施餓鬼 十二月二十二 日冬至祭 十二月三十一日除夜の鐘
●付近の名所旧跡  比企丘陵自然公園 物見山眺望  子供動物自然公園 平和資料舘
●宿泊施設 なし。
●拝観料 無料。
●納経時間 (夏)午前八時〜午後六時
         (冬)午前八時〜午後五時


  観音信仰とそのご利益     正法寺住職中嶋政海

 札所の三十三の数は、観音経の「三十三身示現」に因むもので、観音さまが、仏の身でありながら菩薩となって、広大な功徳をもって、一切衆生に接し給うことをいう。観音さまは、正しくは大慈大悲観世音菩薩といい、「世音を観ずる菩薩」 の意で、南無観世音菩薩と救いを求める衆生の声を聞いて大慈悲の手をさしのべ、衆生を苦悩・危難から救済し給う菩薩である。その仏飯をいただいている毎日の生活に感謝している。
 当山住職となって十年ほどたったある日、本堂裏と北の切りたった崖に生えている木々の枝を伐採、清掃していた時のことだった。三時の休憩を終え、立ち上って二、三歩進み出したその時、それまで座っていた場所めがけて三十センチぐらいの岩が三つばかり、がらがらと崖の上から転がり落ちてきたのだ。
一瞬、肝をつぶす思いがした。わずか数秒の差で生死を分けたのだ。慈悲深い観音さまのご利益に、合掌して深く頭を垂れずにはいられなかったことだ。
 近年、観音霊場巡拝者がめっきりふえ、札所を護持する者としてたいへん喜ばしい限りである。

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