大谷寺へ御来山歓迎


第十九番天開山大谷寺 (大谷観音)天台宗
〒321-0345 栃木県宇都宮市大谷町一一九八 028(652)0128
本尊●千手観世音菩薩 開基●弘法大師 創立●弘仁元年(八一〇) 住職●高橋敬忠
●詠歌●名を聞くも めぐみ大谷の 観世音 みちびきたまへ 知るも知らぬも

毒蛇調伏を緑として
 天平年間(七二九〜四九)にはすでに下野の 薬師寺、国分寺の礎石にその使用例がみられると いう歴史の古い大谷石の産地、宇部宮大谷にこの 寺はあり、ご本尊も大谷石で造られている。寺伝 によれば弘仁元年(八一〇)弘法大師が自らこの 千手観音像を刻まれ、開基となられたという。 『坂東霊場記』は「昔此中に毒蛇住て時々毒水を 流し出せり・・・地獄谷と申せしが」湯殿山の行者 三人来りて修法、千手像を造って住民の苦難を救 ったのに始ると記している。毒蛇調伏を縁とした 遊行的な山伏と奇岩によせる素朴な部落信仰とが むすびつき、ここに仏教信仰が流入してきたとみ てよいだろう。
 ここで注目したいのは「内陣は山、外陣は御堂 なり」(坂東霊場記)とあることで、大谷石の山 そのものを崇める自然崇拝からここの信仰がおこ っていることである。たしかに大谷石の淡青色は 神秘である。そこに霊感を得てはとけを刻み奉っ たのも当然といえよう。山門を入ると行く手をふ さぐような高い岩壁、これをくりぬいて建てられ たお堂、まさに石の寺である。

石心塑像のご本尊
 「いつの世に刻まれたか知れぬ年古りた石のほ とけの姿、大きい岩のおもてを拝する時、人は何 か神秘の感に打たれる」と川勝政太郎氏が述べて いる。あるいは化人の彫刻といい、あるいは弘法 大師の御作といわれるのも無理はない。像高四・ 五メートル、放射状に四十二本の御手が何ら乱雑 な印象を与えることなく、美しい律動感すらとも なって拝される観音さまは秀麗の一語に尽きる。 平安時代初期の造立で、わが国の石仏のうちで最 優秀作といわれる所以である。「下野風土記」は 「まこと凡人のきざみなせる仏にあらず、感涙銘 肝、拝殿を出づ」と記している。
 柔らかくて崩れやすいこの大谷石に、よくもこ のような複雑な表現ができたものだ。まさに神技 といえよう。石心塑像といって、石を削り、その 上に朱を塗り、塑土で細部を粉飾して仕上げたも のという。続く脇堂には釈迦・薬師・阿弥陀のそ れぞれ三尊像が彫られている。
 江戸時代には徳川家康の娘奥平亀姫が深くこの 尊を信じ、元和年間(一六一五〜二四)には天海 大僧正の法弟伝海僧正によって中興され、以後、 天台宗に属し、輪王寺の末寺としての寺格を誇っ た。今も葵紋の幡幕が本堂の向拝を飾っている。 宝永年間(一七〇四〜一一)松平輝貞、奥平昌成 らによって堂宇が整備された。また、歴代の輪王 寺の法親王は上野寛永寺から日光社参の折には、 この寺を宿泊所とされ、したがって幕府の庇護も 尋常ではなかった。
 不忍池を偲んだといわれる前庭の池や背景の老 松があたりによく調和して、心にくいばかりの落 ちつきをみせている本坊である。
 昭和三十七年からの保存維持の工事の際、堂下 から縄文初期より弥生時代に至るまでの「屈葬」 の人骨や土器・石器が発掘された。参拝のあと宝 物館で観られることをおすすめする。なお、この あたりを中心に直径四キロが大谷石の本場だとい うが、寺のすぐ前に昭和三十一年、太平洋戦争殉 難者の慰霊と平和祈願のためにと像高二七メート ルの観音像が造られた。詣でたいものである。

●宿泊施設  なし。近くに「田丸屋」(0286・ 52・0019)がある。
●拝観料  大人三〇〇円、中学生一〇〇円、小学生七 〇円。三十人以上団体割引あり。
●約経時間  四月〜十月午前八時三十分〜午後五時。 十一月〜三月午前九時〜午後四時三十分 
●拝観休業日  毎年十二月十九日〜三十一日。一月・二 月・三月の各第二・四木曜日(但し定休日が祝祭日と重 なる場合は除く)。


身代わりになくなったお守り   大谷寺住職 高橋敬忠
 当山ご本尊の千手観音は、弘仁元年(八一〇)弘法大師の作と伝えられており、古くから大谷 観音と称され親しまれております。
 さて、近年は観光旅行のブームに乗り、観光主体の参拝者が増えておりますが、とても信心深 い青年のことをお話ししましょう。
 親子代々信仰のあつい家に育ったその青年が、先日、交通安全のお守りを下さい、と当山お守 り授与所へ飛び込んで来ました。しかし、彼は数日前に同じお守りを受けていたのです。わけを 尋ねますと、車の運転中に子供が道路に飛び出して来たそうです。避けられないと思いながらも 急ブレーキを踏み、「アッ」と叫んだ時、不思議にも子供が向きを変え、無事に事故を避けられ たそうです。冷や汗を抗い、あとで気がつくとお守りがなくなっていたそうです。もちろん、ど こかでなくしたのかも知れないとも話しておりました。
 そして、彼は同じ交通安全のお守りを受けて帰って行ったのでした。

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