西明寺へ御来山歓迎


第二十番 獨鈷山西明寺 西明寺のホームページ  真言宗豊山派
 〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町大字益子四四六九 0285(72)2957
 本尊●十一面観世音菩薩  開基●行基菩薩  創立●天平九年(七三七)  住職●田中雅博
●詠歌●西明寺 ちかひをここに 尋ぬれば ついのすみかは 西とこそきけ

獨鈷山の由来
 西明寺の縁起によれば、天平九年(七三七)僧 行基が十一面観音を刻み、安置したのが草創とい う。のちに天平宝字元年(七五七)に唐僧恵林が 入山し、観音堂を建て寺門の充実につとめた。こ のような経緯をもつこの古刹は、東日本の焼き物 の代表「益子焼」で有名な益子の町を見下ろす高 館山の中腹にある。
 延暦年間(七八二〜八〇六)弘法大師がここの 「幽寂たる禅境を愛して錫を大悲堂」(坂東霊場 記)にかけられたという。「霊場記」には弘法大 師の来山によって「貴賎渇仰して法水に浴す。時 に法相宗の僧ら、挙げて大師の徳を妬み」岩屋に おしこめるということがあった、と記されており、 これを大師は所持の独鈷をもって避けられたとい ぅのである。それより獨鈷山と称した。そして一 山十二ヶ坊、四十八の伽藍を構える基礎を築かれ たのである。
 しかし、たびたびの兵火によって焼失衰亡した。 下って康平年間(一〇五八〜六五)紀正隆が高舘 山に居城を築き、益子氏を名乗り大いにこの寺を 保護した。さらに宇都宮景房、続いて北条時頼が 本堂を修営、益子寺を西明寺と改め、寺容を旧に 復した。だが正平六年(一三五一)益子城の落城 に際し、すべてが灰盡に帰した。境内の石段の下 に立つと、ここが北限といわれる椎の巨木が参道 をおおい、森厳さを加えている。

美しい姿の三重塔
 石段を登りつめると、明応元年(一四九二)建 立の三間一戸、入母屋造り、重層の楼門に達する。 飛エン垂の落書きによって完成まで三年を要したこ とが知られるが、上下両重の比例がよく整い、茅 葺きであることがより重厚さを示している。特に カエル股の彫刻は室町時代らしい細麗な形で見るべき ものである。
 その左手には天文七年(一五三八)益子家宗寄 進の、関東地方の古塔の一つとして知られる三重 塔が建っている。各層方三間、めずらしく銅板堅 葺きであるが、屋根の勾配が急で、軒の出が深い ので陰影が多く荘重な感を与えている。そして軒 の真反りが強く、各重の軒先が軽く撥ね上ってい るために、実に美しい姿になっていると建築の専 門家は評する。この和様と唐様の語調になる塔は、 少し離れた所から拝むとよいそうだ。
 正面に観音堂、右に閻魔堂、左に鐘楼が、もう 一つ階段を上った所にある。観音堂は元禄四年 (一六九一)に外陣を増築しているはかは室町時 代建立のまま、特に屋根が来迎柱の所で終わって いるめずらしい型の「本尊厨子」は応永年間(一 三九四〜一四二八)の造立、まことにこの寺は室 町時代建築の宝庫であり、いずれも重文に指定さ れている。
 本堂の板壁には明応三年(一四九四)の坂東札 所巡礼者の落書きがある。西明寺から静かな林を 抜け、明るい台地に出て、さらに下ること二キロ の所に地蔵院があり、ここにも「坂東三十三所幸 祐、命禄三壬寅三月三日」「坂東順礼之時、天正 三年乙亥五月一五日」の落書きがある。いずれも 札所研究の貴重な資料である。札所や霊場に詣で た法悦のあまり書き記したことであろうが、当時 の巡礼が「矢立」など持参していたことを知る 「旅風俗」の資料でもある。西明寺の観音さまは 開運を祈る人の参拝が多い。閻魔堂の笑いの間魔 はめずらしいが、かえって不気味だ。いろいろな 罪業のうちに生きる自分を思うとき、巡礼の功徳 によって少しでもその消滅を願い、閻魔王の前で 弁明しなくてもすむようにしたいものである。

●主な法要行事  一月元旦初護摩 節分の日節分会 四月十七日全山石仏供養
●付近の名所旧跡  地蔵院 網神社 益子焼陶芸村(森)
●宿泊施設  なし。
●拝観料  無料。
●納経時間  午前八時〜午後五時。


菩薩とは・・・・・・  西明寺住職 田中雅博

 弘法大師の著作から観音菩薩について紹介しましょう。
「浄妙国土に於ては仏の身を現成し、雑染五濁の世界に住せばすなわち観自在菩薩たり」
 仏の身を完成しておられる観自在菩薩は、煩悩に染まった現実の世間に住んでおられます。不 著生死(仏であり)、不住涅槃(世間に住む)が菩薩の理想です。
「観自在菩薩は手に蓮華を持し、一切有情の心中の如来蔵性、自性清浄光明を観じたもう」
 心を本尊に集中して、雑念がなく浄らかになった心の状態を信(清浄心)といいます。そこに は、すべての他人を自分自身と観る慈悲の心が備わっています。これが仏の心であり、誰もが本 来持っているので如来蔵性といいます。蓮の花は渦の中から出てくるが、垢に染まらない。それ で観音さまは蓮華を持ちそのように本来浄らかな人々の心を観じられるのです。
「この菩薩の加持によって、離垢清浄を得て、聖者に等同なり」
 このような観音さまを本尊として修行すれば、ついには自身が観自在菩薩であることを悟れる のです。

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