日輪寺へ御来山歓迎


第二十−番八溝山日輪寺 (八溝山) 天台宗
〒329-3704 茨城県久慈郡大子町上野宮字真名板倉二一三四  02957(7)0552
●本尊●十一面観世音菩薩  開基●役ノ行者  創立●天武天皇の朝(六七三) 住職●光栄純秀
●詠歌●迷ふ身が 今は八溝へ 詣りきて 仏のひかり 山もかがやく

山岳信仰の霊地
 日輪寺は茨城・福島・栃木の三県にまたがる八 溝山脈の主峰、標高一〇二〇メートルの頂上にあ る八溝嶺神社から三〇〇メートルほど下った地点 にある。「八溝知らずの偽坂東」といわれ、遥拝 ですましてしまう者がいたほどの坂東札所第一の 難所である。
『坂東霊場記』には「春夏巡礼のはか、尋常の 往来なければ熊笹一面に生茂り、更に道の綾分ち 難し」とある。今は町道を利用して自動車が行く ので、これも昔語りとなった。
 大子から久慈川をたどり、さらに八溝川をさか のぼる。やがて茨交のバスの終点蛇穴に着く。も とはここから登拝にかかったものである。
 蛇穴の先にもとは古い大鳥居があったが、これ は日本武尊の創建と伝える八溝嶺神社のものである。
 「八溝」という地名は、もとこの地に源流を発 する川のことで、ヤは接頭語、ミゾは川のことで あるというが、それより日本武尊が東征の折、こ こまで来られ、「この先は闇ぞ」といわれたのに よるという話の方が面白い。現在でも原生林にお おわれた日輪寺はまさに山岳信仰の霊地といえる。
 寺伝によれば、天武の朝(六七三)役ノ行者の 創建といい、「八溝日輪寺旧記書類写」によれば 大同二年(八〇七)に弘法大師が八溝川の流水に、 香気と梵文とを感得され、再建されたという。大 師はこの山の姿が八葉の蓮華を伏せた如くであっ たのと、この山の鬼人を退治された時、狩衣を着 た二神(大己貴神・事代主神)が現われたのを、 二体の十一面観音として刻み、日輪・月輪の二寺 を建て、観音霊場とされたのであった。仁寿三年 (八五三)慈覚大師の来錫を緑として天台の法流 に属し、今日に及んでいる。

僧成弁の参亀
 鎌倉時代には源頼朝が寺領を寄せて信仰し、室 町時代の文明年間(一四六九〜八七)には日輪寺 の本堂は間口十六間、総欅造りの大伽藍となり、 雷神門・札堂・薬師堂・不動堂などが甍を並べる に至ったという。
 また福島県東白河郡棚倉八槻村の都々古別神社 の十一面観音像の台座銘に、天福二年(一二三 四)僧成弁がこの日輪寺に三百日問お籠りし、坂 東巡礼をしたとあるが、これは坂東札所の成立を 知る上で貴重な史料である。続いて天文六年(一 五三七)佐竹義篤と白河城主藤原直広が大檀那と なって堂舎を修営および梵鐘を寄進している。中 世以降は修験の道場となり、特に江戸期には山伏 の往来もはげしく修行の山となった。
 寛永二十年(一六四三)火災で本堂焼失、仮堂 を建立。万治元年(一六五八)再び炎上したが、 水戸義公は二回登拝し再建に尽カ、春秋の二季に 野・常・陸三州に守護符の頒布を許すなどして保 護した。境内には上之坊月輪寺、中之坊尼寺があ った。数少ない往時の遺品の一つに正徳三年(一 七一三)の銘をもつ、観音堂の向拝にかけられて いた「鰐口」がある。だが天保三年(一八三二) の水戸藩の廃仏運動で、一時は本尊が白河郡高野 大梅に避難されるほどの法難に遭遇した。
 そして明治十三年の火災で惜しくも堂宇を全焼。 大正四年仮堂が建てられ、さらに昭和四十九年、 五間四面の立派な観音堂が茨城、福島、栃木の三 県にわたる信徒及び全国からの巡礼者の浄財によ って完成した。
 時間が許したら麓から是非徒歩で参拝してもら いたい札所である。田村麻呂ゆかりの三本杉や白 毛・金性・龍毛などと呼ぶ小さな瀧も見られる。
●主な法要行事  五月三日八溝梵天護摩供 毎月十七 日縁日護摩祈祷
●付近の名所旧跡  袋田の滝
●宿泊施設  なし
●拝観料  無料
●納経時間  午前八時〜午後五時 冬期午前八時三十 分〜午後四時  1,2月閉山


因果応報 日輪寺住職 光栄純秀

 よく私たちは、因果応報という言葉を使います。因果応報という言葉は、原因があって、必ずそれに応じた結果が伴うということです。私たちは、常々この言葉は良い方の意味では使いませんし、理解しませんが、そうではありません。七佛通戒偈の中に、「もろもろの悪をなすことなかれ、もろもろの善を行え、それが仏の教えである」と、お釈迦さまもおっしゃっているように、仏教とは簡単な教えであるが、守ること、行うことは大変難しいことでありますから、善因善果であり、悪因悪果なのです。
 つまり、米の種を蒔けば、米の芽が出て、米の花が咲き、穂がなります。また、麦を蒔けば、麦の芽が出て、麦の花が咲き、麦の実となります。すばらしい種を蒔けば、良い芽が出、良い花が咲き、良い実が結びます。それは、自然のことわりであり、人間だけが逃れるものではありません。良い種を蒔くも、悪い種を蒔くも・・・。
  南無大慈大悲観世音菩薩

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