大御堂へ御来山歓迎


第二十五番筑波山大御堂 真言宗豊山派
〒300-4352 茨城県つくば市筑波七四八 0298(66)0126
本尊●千手観世音菩薩  開基●徳一法師  創立●延暦元年(七八二)  住職●岡本永司
●詠歌●大御堂 かねは筑波の 峯にたて かた夕暮れに くにぞこひしき

徳一法師の開基
 明治の神仏分離令が出るまでは現在の筑波神社 と知足院大御堂とは同体であった。だから現存の 神橋や随神門は筑波山中禅寺を荘厳していたので ある。境内の水盤の銘に宝暦八年護持院、文政二 年の石灯篭に筑波山僧侶の名前が彫られていたり する。わずかに八七六メートルの標高だが、関東 平野にひとり立つ秀峰筑波山は、男体・女体の二 峰からなり、昔はそれぞれ千手観音・十一面観音 を本地仏とする大権現として崇められていた。
 寺伝によれば、この霊山は延暦元年(七八二) 東国の化主と仰がれた徳一法師によって開かれ、 弘仁年間(八一〇〜二四)弘法大師によって真言 密教の霊場となったという。そして「この山は天 地開閉の古へより、天神地祀降霊の地なり・・・・大 御堂千手大悲の像は両大権現の託宣に依って、弘 法大師の彫刻なり」(坂東霊場記)とし、ここが 神仏習合信仰の山であることを教えている。鎌倉 時代には常陸の守護八田知家の子、為氏が筑波氏 を称し、のち出家して明玄となり、この寺の別当 をつとめ隆盛を示した。だが応永五年(一三九 八)落雷で堂塔を失った。

江戸時代の盛観
 江戸時代に至り、知足院宥俊の代、朱印五百石 を得て中興。続いて徳川秀忠の乳母の子、出家し て光誉上人がこの寺に住し、慶長十九年(一六一 四)、大阪城攻略に従軍して戦勝を祈願、いよい よ徳川家の恩寵を深くした。さらに家光将軍はこ とのほか尊崇し、三重塔・鐘楼・楼門などを造建 して輪喚の美を整えた。亮盛沙門の著『筑波山名 跡誌』にはこのことを「将軍家の御崇敬浅からず、 神社仏閣湧くが如くに興隆し、人法繁昌古への千 倍なり」と書き綴っている。
 なお貞享三年(一六八六)第十一世隆光上人の 代には寺領千五百石の寺格を有する大寺となり、 十八支院、三百の住僧を数えたという。正徳三年 (一七一三)寺島良安編の有名な図説百科事典 『和漢三才図会』は「堂塔楼門最美なり」と讃嘆 している。
 また、文化十年(一八一三)刊の『筑波詣』に は「本尊観世音坂東の札所なり。大堂巍々雲を貫 き、結構美々たる荘厳は、中々言語に絶したり」 とある。したがって参拝者・巡礼者もきわめて多 く『筑波山縁起』によれば「近国他国より参詣の 輩、袖を連ね裾をからげ、昼夜の堺も無く、山の 繁昌時を得」たる有様であった。
 筑波山大御堂への道は石岡から八郷町の柿岡、 そして小幡、十三塚を通る府中街道が古く、次に 筑波町山口から平沢、館そして六所神社を通る徳 一法師の開いた道があるが、何といっても一番賑 わったのは、北条から神郡、臼井の村落を過ぎお 堂の正面に出る「筑波六丁」であったという。現 在でも辿ることができる。
 だが明治初年、神仏同体の思想を否定する悪令 暴挙によって筑波山が激変を余儀なくされたのは 惜しみても余りあることである。「筑波千軒」と いわれた町の衰亡も、一時は色濃いものであった そうだ。外来性と伝統性とを包含した由緒に富む 習合文化はいたずらに破壊されてしまった。それ 以来、仮堂のような大御堂にご本尊は祀られ、大 津波に遭われるなどのことがあったが、傷一つ負 わなかったのは幸いであった。昭和三十六年完成 のお堂では、豊頬なお顔が直接拝されるのが有難 い。
 時間があったらケーブルで山頂へ。そして筑波 山全体が観音さま垂迩の聖地であることを確認し たいものだ。

●主な法要行事  二月十八日追難式 八月十八日万灯 法要
●付近の名所旧跡  筑波山 筑波神社 ●宿泊設備  筑波グランドホテル 江戸屋ホテル 青 木屋ホテル
●拝観料  無料(札所参拝者)
●納経時間  午前八時から午後五時(冬期は午前九時から午後四時)


六観音さま 大御堂執事 岩崎真隆

 三十三観音札所は観音さまの三十三身応現の数にあわせた信仰であります。ですが白衣観音とか瀧見観音とか魚藍観音さまなどの「三十三観音」の信仰とは別のものであります。すなわち各札所のご本尊さまは聖・十一面・千手・馬頭・如意輪・准胝あるいは不空絹索の観音のうちの一尊をおまつりしているのです。」
 当寺のご本尊さまは千手観音さまです。千本の手を持っておられるわけですが、一本の手で二十五本の手を代表しているお姿もあります。この多くの手はわたしたちを幸せにしてくださるために、その人、その人に応じたいろいろな方法手段を観音さまが用意しておられるためのお姿なのです。たしかにこれだけ多くの手ですと一度に何人でも救っていただけるわけで、まことに有難いことです。
 それにこの千本の手には一つずつ眼がありますので、そのどれかの眼で見守っていてくださると思うと、とても安心です。ですから拝んでいても千本の手が少しも不思議ではありません。坂東では十一面観音さまが十四ヶ寺、次いで千手観音さまが十二ヶ寺と多いのも、この千手観音さまを心から頼みにしている証拠でしょう。

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