円福寺へ御来山歓迎


第二十七番飯沼山円福寺 (飯沼観音) 飯沼観音のホームページ  真言宗
〒288-0054 千葉県銚子市馬場町二九三 本坊0479(22)1741 観音堂пi23)1316
本尊●十一面観世音菩薩   開基●弘法大師   創立●神亀五年(七二八)  住職●平幡良雄
●詠歌●このはどは よろずのことを 飯沼に きくもならはぬ 波の音かな

海中より出現の霊異
 「飯沼の観音さま」「銚子の観音さま」として知 られる円福寺は、利根川の河口、関東一の漁港と して賑わう銚子市の中心に位置し、市街はその門 前町として発展してきた。『飯治山観世音縁起絵 巻』によれば神亀元年(七二四)毎夜、海上に光 を放つものがあり、浦人が怪しんでいたところ、 ある漁夫に観音さまの夢告があり、世間の衆生を 救いたいので汝の網によって出現したいとのこと。 そこで網を投じたところ、御丈二尺余の十一面観 音像が瑪瑙石を脇ばんで出現なされたとある。そ の時に天から降米の奇瑞があったので「飯沼」と いう地名がある由。
 『坂東霊場記』はこのことを「石の如く罪重く して苦海に沈む衆生をもらさず浄土の岸へ救い上 げんとの救世の悲願を示し玉ふ」と綴っている。 そしてお像を感得した漁夫は出家して観音さまに 仕え、「おこり除けの法師」として諸人を救った と伝えている。のちに弘法大師が来られ、本尊の 蓮座を造られ開眼の秘法を修せられたという。そ の時、この地の海上長者は大師の高徳を敬慕して、 深くこの本尊さまに帰依し、財宝を傾けて壮麗な る堂舎を建立したというのである。

海上氏の帰依
 円福寺には鎌倉から足利時代にかけての古文書 が多いが、そのほとんどが海上氏関係のものであ る。千葉氏第五世の千葉常胤の六男の胤頼が、こ の地にあって「東氏」を称し、その孫の胤方が海 上の庄を与えられて「海上氏」を名乗った。胤方 の次男盛胤が正安元年以前に、それまで兼ねてい た飯沼寺別当職を弟の長胤にゆずり、その子孫が 代々寺を継いだ。康安三年に宗快が円福寺の住持、 のちの上超・弘恵もいずれも海上氏出身である。 観音堂も天正六年 (一五七八)海上氏によって方 八間のものが建立され、また円福寺十ヶ坊の存在 は、足利時代からこの寺が海上氏保護のもとに学 山であったことを語るものといわれる。
 なお『銚子市史』に「飯沼観音が、その撰(坂 東札所としての指定)に入った理由は、鎌倉幕府 に重きをなした東氏・海上氏の支持するところた るに依るのみならず、その推挙があったためかと 思考される」と記しているはどに海上氏との因縁 は深い。
 江戸時代には十間四面の大本堂が造営された。 このお堂が戦災前まで広壮な姿を見せていたのは 人のよく知るところである。五千六百余坪の境内 には仁王門・鐘楼・薬師堂・大師堂があり、安政 二年(一八五五)刊の『利根川図志』は「境内に 見世物軽わざしばい、其外茶見世多く至って賑は し」とその盛況を写している。それは遠くはるば る江戸から詣で来る善男善女、それに特に航海、 漁師の人たちの熱心な参詣者をはじめ、巡礼者に よる賑いであった。そして現在の本坊と観音堂と はもちろん、地続きであった。今は仁王門の道を 右へ、大通りを横ぎって二〇〇メートルはど行く ことになり、「納経」はこの本坊で受けつけてい る。本坊には「円福寺古記録」など古文書をはじ め、江戸の俳人・古帳庵の句碑、天保水滸で知 られる侠客銚子の五郎蔵の墓などがある。
 銚子のシンボルである観音堂の再建は、昭和四 十六年に衆庶の信助によって見事に完了した。境 内の「大仏」は銚子近在の人たちの喜捨で正徳四 年(一七一四)に鋳造。このようにこの寺はいつ の世にも衆生縁が豊かである。

●主な法要行事  一月一日元旦祈祷会  一月二十三日   二十三夜尊護摩祈祷会  二月三日または四日節分会   二月十五日涅槃会  三月・九月春分・秋分の日の前後七日間彼岸会 四月八日灌仏会  四月五日〜十七日お大師詣り  八月一日施餓鬼会  八月十日四万八千日   十二月二十八日〜三十一日歳の市
●納経時間  年前八時〜午後五時
●付近の名所旧執  犬吠崎
●拝観料  無料
●宿泊施設  なし
●奥の院  じゅんれいの寺満願寺


観音信仰の奇跡 円福寺住職 平幡良雄

 現観音堂完成間近のこと、二十日ほど前から湯水も喉を通らず危い状態であった観音地内入口の砂場食堂のおじいさん宅から、すぐ来て欲しいと連絡を受けました。急いで行くと、当時竣工間際だった観音堂再建工事が心配だったようで、半紙に大きく「観音さまをお願いします」と私宛の遺言状がありました。翁はすでに死相を呈していました。「観音さまがお守りくださるから大丈夫ですよ」と励まし、寺へ戻って病気平癒の御護摩を奉修、お札を翁の枕元に安置しました。翁は戦火で焼失したお堂再建に最も熱心な総代で、長い間私を励まし慰めてくださった一生の恩人です。この恩人を救えるのは観音さましかいない、信仰あつい恩人をお救いくださいと祈念したのでした。
 私が終生忘れることのできない驚くべき奇跡が起こったのはそれからです。翁は翌日湯水も少し通るようになり少し持ち直しました。それから一月はどで一応全快、部屋の中を歩けるまでに回復したのです。観音さまの御加護で信仰深い翁は守られたのでした。
 飯沼観音は古来より家運長久、息災延命、福智増長、求子安産など諸々の善願成就すること、谷の響きに応ずるが如し、と尊信されています。

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