龍正院へ御来山歓迎


第二十八番 滑河山龍正院 (滑河観音) 天台宗
〒289-0125 千葉県香取郡下総町滑川一一九六 0476(96)0217
本尊●十一面観世音菩薩  開基●慈覚大師  創立●承和五年(八三八)  住職●廣漱孝泉
●詠歌●音にきく 滑河寺の 朝日ヶ渕 あみ衣にて すくふなりけり

慈覚大師の開基
 成田市の北東にある下総町は古くは利根川の舟 運で栄えた地。その滑河にあるのが龍正院である。 現存の永正十三年(一五一六)鋳造の鰐口に「下 総州行河山勝福寺」とあるので、そのようにいわ れていた時もあったようだ。承和五年(八三八) 滑河の城主小田宰相将治の発願により、慈覚大師 が開基となっている。
 のちに大師の高弟修円が伽藍を整えたが、特に 将治の帰依入門により常行三昧堂を構え、自ら導 師となって所領の男女を集め、昼夜にわたって行 法を修せしめたという。まさに天台宗門の古刹で あり、その供料に香取一郡四十八ヶ村が当てられ たという。これはのちのことではあるが、江戸時 代には天海大僧正が東叡山寛永寺の末寺となるよ う「下知状」(現存)を下している。
 まず大きな注連縄がかかる仁王門をくぐるが、 この仁王尊は享保年間(一七一六〜三六)門前に 火災があった時、観音堂の屋根から大きな扇で火 焔をあおぎかえし、本堂から下の集落は焼失をま ぬがれたという伝説の主である。それより火伏の 仁王尊としての信仰があつく、毎年正月八日に火 災をまぬかれた下の集落の人々によって注連飾が 奉納される。
 中央一間を入口とし、両脇に疎連子を付し、仁 王尊を安置した寄棟造りの構えは実にどっしりと している。この八脚四柱の門は飛騨の大隅の意匠、 永仁六年(一二九八)に再建された室町時代の貴 重な遺構で、重要文化財の指定を受けている。柱 は一見、円柱のようだが、実は十六角、それだけ に素朴さがあふれている。

小田将治と朝日姫
 寺の『縁起』には、その昔、五月というのに冷 害で大凶作、住民が困ったので領主の将治が仏天 にご加護を祈ったところ、その結願の日に「朝日 姫」と名乗る少女に逢い、「汝の願いはかなうべ し」と小田川辺に案内して忽然と姿を消した。あ たりを見ると老憎が船を浮かべ、川から一寸二分 の観音像を掬いあげて将治に与え、「この淵より 湧く乳水をなめよ」と教えた。これがなめ河−滑河 の地名の由来だが、そのお告げのとおりにすると、 領民の病も、穀物の実りも回復したとある。この 観音さまご出現の霊地は、龍正院から三〇〇メー トルほどの所で「観音応現碑」が建てられている。
 建保四年(一二一六)折からの暴風雨で本堂・ 護摩堂・三重塔・鐘楼などを失ったが、現在の朱 塗り方五間、入母屋造りの観音堂は元禄九年(一 六九六)弁海法印の代に五代将軍綱吉が大檀那と なって、名主の根本太右衛門ら信徒一同によって 再営されたものである。
 内陣の大きな厨子は定朝作と伝える一丈二尺の 本尊(示現像は胎内に納める)のものだけに立派 な造り。そして不動・毘沙門の両像が脇に立ち給 い、まことに荘厳な道場といえる。外陣は虹梁を を架して大きな空間がつくられており、それだけ ゆったりとした気持で参拝できるようになってい る。
 江戸期奉納の多くの「巡礼額」に昔からの寺門 の繁栄を知る。昭和四十三年に大修理が完了した。 安産子育、延命開運の祈願に詣でる人が多い。昔 は二十六番かち土浦を経て利根川まで辿り、渡し 舟で龍正院へ詣で、そして逆打ちで二十七番へ向 う巡礼も多かったという。ここはかつては「木下 茶船」や「三社詣で」の客船も寄った所であり、 それも巡礼に利用されたことだろう。

●主な法要行事  一月元旦祈祷会 一月八日初仁王・〆縄かざり 節分の日節分会 春分の日彼岸会 四月八日灌佛会 八月十日四万八千日 八月十九日施餓鬼 会 十一月十八日秋の大祭
●付近の名所旧跡  成田山新勝寺 香取神宮 小御門神社 潮来のあやめ 利根川 成田空港
●宿泊施設  なし
●拝観料  無料
●納経時間  午前八時〜午後五時(但し、十一月〜二 月までは午前八時三十分〜午後四時)


観音さまのご利益  龍正院住職 廣瀬孝泉

 娘が小学校一年生の時、盲腸炎で入院したことがあります。朝からお腹が痛いと言うので近くのお医者さんに診ていただいたところ盲腸炎、すぐ入院手術をするようにと言われました。家内は下の子を出産して一方月もたたないので、私が付添いました。
 手術も無事終わり、病室に戻って来ました。「お腹を切ったところが痛くなったらお父さんの手ををぎゅっと握りなさい。観音さまが直してくれるからね」「はい」幼いながらもわかったのでしょう。時々「う−ん」と唸りながら私の手を握ります。少し経つと眠り、また手を握りしめ、を繰り返して夜が明け、一声も泣きませんでした。翌朝隣室のおばさんが「どうしたのよ、ひとつも泣かないで。昨夜は眠れないと覚悟していたのよ」とびっくりしていました。娘は「観音さまが痛くないようにしてくれたの」「う−ん。そうだったの。ありがたいねぇ」
 おかげさまで隣室の方々にも迷惑はかけずにすむし、私もおろおろせずにすみ、これが本当のご利益と感銘を受けたことでした。小さい時から私と一緒に本堂に上りお勤行をしておりましたため、観音さまのご利益をいただけたと思っております。その娘も今は二児の母親となり、母子共に健康で、二人の孫は「般若心経」と、となえています。

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