清水寺へ御来山歓迎


第三十二番 音羽山清水寺 (清水観音) 天台宗
〒299-4624 千葉県夷隅郡岬町鴨根一二七〇 0470(87)3360
本尊●千手観世音菩薩  開基●慈覚大師  創立●大同二年(八〇七)  住職●井上享海
●詠歌●濁るとも 千尋の底は 澄みにけり 清水寺に 結ぶ閼伽桶

四天門のすばらしい建築美
 外房海岸の夷隅川の河口に位置する岬町から少 し内陸部に入った鴨根の山あい、あたりが京都の 音羽山に似ているといわれる所に清水寺がある。 表坂、仁王門まで二〇〇メートルと書かれた標柱 から参道を上るが、その傍の小さな地蔵堂に「霊 験昭々」の扁額がかけられている。江戸時代の医 僧田丸健良が「終日、日の影を見ず、寂々蓼々と して自ら菩提心も起るべき境内なり」という如く、 この参道は霊験所らしい雰囲気を保っている。
 登りつめると平坦な境内に出るが、正面に仁王 門、奥まって四天門がのぞまれる。銅柿葺き、重 層入母屋造り、正面唐破風付の仰ぎ見るような楼 門、二層に匂欄をめぐらし「音羽山」の扁額をか かげる四天門、文化十四年(一八一七)に重建さ れたものだが、美しい曲線を描く桃山期風の花頭 窓などまさに完成された建築美である。ここには 本尊千手観世音の眷属である風雷二神が祀られて いる。
 この門を入ると左手に奥の院、右手に百体観音 堂、閻魔堂、さらに石段を上ると観音堂と鐘楼、 実に整然たる伽藍配置である。観音堂は浜エンの擬 宝珠を見ると「文化十四年丑年七月奉再建、別当 三十一世占海代」の銘があり、これによって文化十 年(一八一三)仁王門だけを残して諸堂が焼失し た後の重建であることがわかる。因みに占海は 『天台大師和讃』に註を付した学僧でもある。
 八間四面、江戸期建築の粋を集めた立派なお堂 である。ご本尊奉安の厨子は初層が寄棟、上層は 入母屋造り、組み物は唐様三手先、いたる所に花 鳥、龍、獅子の透し彫りを取りつけた豪華なもの。 また二十八部衆の木彫像が奉安されている。
 西国、坂東、秩父の百観音巡礼の結願は庶民の 夢であったが、その実現はむずかしかった。「う つし霊場」はこの要求から生まれた。ここの百体 観音堂もいかに多くの人たちの願いにこたえてき たことであろうか。

伝教・慈光両大師とのゆかり
 寺伝によれば延暦年間(七八二〜八〇六)伝教 大師が天台の教えを東国に弘めようとこの地に来 られたが、難路のため迷っていると熊野権現が樵 夫に化して案内したのを縁として草庵を結んだ。 時に夜ごと金沢谷から放光の奇瑞があり、そこか ら観音像を感得したが、勅命により比叡山に帰ら れた。のちに大同二年(八〇七)慈覚大師が師の 志をつぎ、楠をもって千手観音像を刻み、坂上田 村麻呂が堂宇を建立して祀ったという。田村麻呂 の子孫が関東に土着したという伝えもあるので、 興味深い寺伝である。
 『坂東霊場記』はこのことを「上総国夷隅郡鴨 根村、音羽山清水寺、熊野権現垂跡の所、円通大 士影向の山なり、本尊の彫造、道場の開基は伝教 大師の発願、慈覚大師の勲功なり」と記している。 京都の清水寺、兵庫御嶽の清水寺と共に、わが国 における清水三観音として知られるだけに、本堂 東側の廻廊からの風光は絶佳である。
 本堂外陣の長押には幕末頃に奉納されたぬえ退治 や、しころ引きといった有名な物語を描いた「大絵馬」 をはじめ多くの絵馬が所せましとかけられており、 そのなかでも漁師たちが豊漁を祈ってあげたもの など、この寺が海に近いことを知らせる。
 本堂前の「千尋の池」は夏でも涸れない霊水、 寺名の由来を示す。また黄銅製の大茶釜が据えら れているが、四万六千日の縁日などに参拝者のお 接待に使われるという。お接待、そこには施す者 と受ける者との心の通いがある。私はこの釜を見 ると、いつも信仰の世界の有難さを思うのである。

●主な法要行事  毎月十七日観音縁日  八月九日四万 六千日  大晦日除夜の鐘
●付近の名所旧跡  大東崎灯台
●宿泊施設  なし
●拝観料  無料
●納経時間  午前八時〜午後五時


景清身代り観音 清水寺住職 井上享海

 当山にはよく知られた千手、十一面の両観世音のほかに、景清身代わり観世音が安置されています。お名前のみでその由来などあまり知られておりませんが、由緒あるお像です。
 御名の因となった平景清は、上総国布施の産、笠松右衛門景高の息で、伯父大日坊殺害のため悪の一字を冠せられ悪七兵衛景清と呼ばれた平家の勇者でした。弱年より観世音を信仰し、日夜誦経を怠らなかったと申します。
 源平の戦に平氏は敗れ、景清虜となって三尺の詰牢に押しこまれましたが、信心いよいよ強くお経を念じて怠ることありませんでした。時に「景清の首打って直見に仰えよ」との頼朝公の仰せあり、御前に差し出されたその首を頼朝公がご覧じなされると、こはいかに景清の首にあらず、勿体なくも観世音の御首でございました。頼朝公大いに驚かれ、「景清や如何に」と尋ねれば、景清牢中にて一心に経を唱えていたということでございます。かくて、悪七兵衛景清、日頃信心せし観世音の宏大なるお慈悲により、この身を解き放たれたのでございました。
 ただいま当山にございます身代り観世音像は、この時のままの御首と両の御手のみのお姿ながら、なおも優しい笑みを浮かべて広く衆生をご覧になっておられます。あまりにおいたわしいお姿なので、ただいまは秘仏として厨子にお納めし、非公開とさせていただいております。

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